FC2ブログ

〖山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム ①〗 in 熊本県球磨郡錦町

熊本県球磨郡錦町に2018年8月1日にオープンした、

〖山の中の海軍の町 にしき ひみつ基地ミュージアム〗


情報誌に掲載されているのを見て、行ってみました

まず、錦町の道の駅で情報収集でも・・・と思いましたが、〖ひみつ基地ミュージアム〗のパンフレットなどはなく・・・

↓道の駅 錦
道の駅 錦
道の駅 錦 posted by (C)furosky


まぁ道路上の案内表示板に従って、難なく辿り着きました。

↓ひみつ基地ミュージアム 外観
ひみつ基地ミュージアム

目的地に近づいたときの、最初の感想は、
「どこにミュージアムがあるの???」

けっこう広い土地に、(しかも周りが田畑なので、余計に広く感じる)、ポツンと直売所みたいな建物が。

その直売所の様な小さな建物が、〖ひみつ基地ミュージアム〗でした。


館内に入り、入館料 500円をお支払い。
ガイドツアーがもうすぐ始まるとの事で、ツアーに参加しました。

ミュージアムの建物自体は小さくて、展示物もそれほど多くはありませんが、入館料の500円でガイドツアーまで含まれています。
これはお安い


ガイドツアーは、ひみつ基地ミュージアムの建物から、魚雷調整場跡である地下壕内部までを歩いてガイドして下さいました。
(年配の方は車で魚雷調整場入口まで行けます)


~~~~✈ ▼ 以下、ガイドツアーの様子 ▼ ~~~~✈~~~~✈~~~~✈~~~~✈~~~~✈

まず、ひみつ基地ミュージアムの建物横の道路を見て。

ここ人吉海軍航空基地は、1943年(昭和18年)に作られました。

ひみつ基地ミュージアム (3)
ひみつ基地ミュージアム (3) posted by (C)furosky

この道路は、当時の基地の滑走路跡なのだそうです。
コンクリート製の本格的な滑走路。

稼働しはじめてすぐに「予科練」と呼ばれる航空教育隊の方が入られます。

しかし、戦争も佳境に入って、物資もなくなっている中で、教育隊の教育の為にコンクリートの滑走路を作るというのはおかしな話。
本来ならば、ここは飛行場として活用する為に本格的に作られたのです。

しかし、作った後で、ここの地域が非常に霧が深くて飛行場には適さないことに気づく

((今でもお昼くらいまで霧がかかっていることがあるそうです))

本格的な飛行場として作ったは良いけれど、霧のために余り使えなかったので、予科練の教育隊が配属されて、教育施設として目的を変えて使ったのではないかと言われています。

ひみつ基地ミュージアム (2)
ひみつ基地ミュージアム (2) posted by (C)furosky

基地が出来た翌年の昭和19年3月には、九州全域の基地を作り直すという指令が、本部から出ます。
その理由は、アメリカ軍の戦艦が鹿児島の南に寄せてくるようになってきて、空襲が始まってきたことから、
そのうちにアメリカ軍が上陸してくきて地上戦になるだろうと予想されました。
そのときは一番に九州に上陸してくるだろうということで、
九州の基地を上陸戦用に作り替えるという指令が昭和19年3月にでるのです。
そのため、3月に佐世保から設営隊が入ってきて、地下施設などの建設が始まりました。

そこから施設部隊と航空隊と、後から疎開してきた特攻隊とで3つの部隊が動くような形になります。

そして滑走路脇にある、この木のお話が。

ひみつ基地ミュージアム②

この滑走路跡があるところは、航空隊の方が使っていた場所ですが、居住地はここから2km先の北の方にありました。
皆さん居住地から訓練地まで通勤していたということですね。

昭和19年の冬から20年初頭の冬にかけて、今でも記録を抜いたことがないくらいの大寒波がきて、九州なのに連日マイナス10度以下という極寒の日々が続いたそうです。
それもあって、皆さん凍傷が酷く、中には骨が見えるくらい、肉がえぐれるくらいの酷い凍傷を負っていた方もおられたそうです。

見かねた上官の方が佐世保に嘆願書を書かれて、余りに酷いから手袋を支給してくれないかとお話をされましたが、
海軍は非常に規則が厳しくて、当時は本当に上の方の方々しか手袋の着用が認められていなかったので、特例はダメだということでした。

それでも、15、6歳の子供たちが手の肉がえぐれるほどの凍傷を負っているのを見てどうにかしたいと思われ、2つの対策をとられます。
一つは、居住区からの2kmの通勤はいつも駆け足だったんですけど、その通勤の間だけ、自分の履いている靴下を手袋代わりにしていいよというもの。

そしてもう一つが、今も資料館の横に立っている栴檀(せんだん)の木。

この木は冬になると葉が落ちて茶色っぽい実が成ります。
この実が民間療法で凍傷の痛みの緩和に効くと聞かれたらしく、隊長さんが自ら取って皆さんのお風呂に入れたという話が残っているそうです。


そして滑走路から森の方を見ると。

ひみつ基地ミュージアム (4)
ひみつ基地ミュージアム (4) posted by (C)furosky

この森の中には蛸壺と塹壕の跡があるそうです。
塹壕は爆弾や砲撃を受けた時に避けるためのもの。
蛸壺は深く掘ってあって、戦車が通るときに戦車に向かって爆弾を抱えて突っ込むためのものだそうです。

ここの予科練さんたちは飛行予科練だと思って志願されましたが、
実際に来てみたら整備予科練だと聞いて、赴任と同時に大変がっかりしたのだそうです。

またこの森の一番右側の中には、掩体壕と呼ばれる飛行機を爆風から守るものが残っているそうです。
無蓋掩体壕が2基残っていまるのですが、今は草木が生い茂っているので中に入って確認するのは難しいとのこと。

ここまでの説明が終わると、木立の中を歩いて、地下魚雷調整場へ向かいます。
資料館の前から続く、木立の中の道は、予科練の方たちが通った道をそのまま残してあるそうです。


長いので、次のページへと続きます。


*✽ 福岡発!! 九州観光ガイド ✽*






スポンサーサイト



ひみつ基地ミュージアム 球磨郡錦町

0 Comments

Leave a comment