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〖万世特攻平和祈念館 ①〗 in 鹿児島県南さつま市

鹿児島県南さつま市にある〖万世特攻平和祈念館〗への再訪です。

万世特攻平和祈念館@2018 (7)
万世特攻平和祈念館@2018 (7) posted by (C)furosky

今でこそ日本三大砂丘のひとつでと言われる吹上浜ですが、戦争末期には「万世飛行場」という陸軍の特攻基地がありました。
陸軍の特攻基地としては、知覧 が余りにも有名ですが、ここ万世飛行場は知覧から約15kmほどという立地です。

太平洋戦争の戦況が悪化の一途をたどり、南方への攻撃が激しくなるにつれて、知覧飛行場だけでは事足りなくなり、補助的な飛行場として使われました。


始まりは、昭和17年。福岡県の「太刀洗陸軍飛行学校」の分校を建設する目的で、飛行場の調査が始まったということです。
(知覧飛行場もそもそもは太刀洗陸軍飛行学校の分校でした。)

万世飛行場の建設着工は昭和18年7月。

当時は機械力は殆どなく、人力で造られました。
労働者の中には朝鮮人労働者5~600人、中国人捕虜約100人も含まれていたそうです。
滑走路はセメントがなく、周囲の山から運んできたスイセイ岩を敷き詰めて造られました。

空襲下の突貫工事でしたが、官民一体の協力を得て、昭和19年末にはほぼ完成していたそうです。

この万世飛行場が、陸軍が最後に建設した飛行場となりました。

万世特攻平和祈念館@2018 (9)
万世特攻平和祈念館@2018 (9) posted by (C)furosky

実際に万世飛行場が使用されたのは、昭和20年に入ってからの、たったの4ヵ月間。
期間も短く、資料も殆ど残っていないことから、「幻の特攻基地」とも呼ばれていました。

昭和20年3月26日には、飛行第66戦隊が配置され、3月28日に第一回目の出撃。
6月までに19回の出撃が決行され、72名の戦死者を出しました。


今だから思いますが、あとたったの5ヵ月で終戦なのに・・・・・

昭和20年4月1日には、米軍が沖縄本島に上陸。
4月2日には、特攻振武隊が配置され、4月6日には振武隊の第一回出撃が行われます。

4月9日には飛行第55戦隊が配置され、特攻隊の前身護衛に当たりました。

万世特攻平和祈念館@2018 (2)
万世特攻平和祈念館@2018 (2) posted by (C)furosky


万世飛行場における 出撃・戦没者
 ┌──────────────────────────────────
 │          出撃回数    戦死者数
 │ 特攻振武隊    約29回    121人
 │ 第66戦隊    約19回     72人
 │ 第55戦隊    約 5回      6人
 │ その他                2人
 │ 合計               201人 (201人中 鹿児島県出身者は4人)
 └──────────────────────────────────

万世特攻平和祈念館@2018 (1)
万世特攻平和祈念館@2018 (1) posted by (C)furosky

万世特攻平和祈念館の外観は、少年飛行兵たちが大空に憧れ、初めて飛んだ練習機「赤とんぼ」の複葉型を模し、
大屋根に平和を祈る合掌をイメージした「複葉合掌型」となっています。

万世特攻平和祈念館@2018 (4)
万世特攻平和祈念館@2018 (4) posted by (C)furosky

慰霊碑は、昭和47年に特攻隊の慰霊顕彰を目的に建立されたもので、旧町名「万世」をも意味する「よろずよに」と刻銘されています。

万世特攻平和祈念館@2018 (5)
万世特攻平和祈念館@2018 (5) posted by (C)furosky

─[ 上の石板から転記 ]─────────────────────────────────────

昭和19年 太平洋戦争の戦局はとみに悪化し、すでに決定的段階を迎えんとしていた。
ここ加世田市吹上浜の地に、戦勢転換の神機を期すべく地元民学徒ら軍民一致の協力によって、
本土防衛沖縄決戦の基地 萬世飛行場が建設された。

昭和20年3月28日より終戦に至るまで、陸軍特別攻撃隊振武隊の諸隊、飛行第六十六戦隊、飛行第五十五戦隊の
若き勇士たちは、祖国護持の礎たらんと、この地より雲表の彼方へと飛び立った。
一機また一機と。征きて帰らざる者あまた。或は空中に散華。或は自爆。壮絶にして非絶。
その殉国の至誠は鬼神もこれに哭するであろう。

終戦以来幾星霜、ここに祖国は、その輝かしき復興をとげた。
われら生き残りたる者と心ある人々は、英霊の魂魄を鎮め、その偉勲を讃えんがために、ここにこれを建立する。

                                        昭和47年5月29日
────────────────────────────────────────────────

万世特攻平和祈念館@2018 (3)
万世特攻平和祈念館@2018 (3) posted by (C)furosky

万世特攻平和祈念館@2018 (6)
万世特攻平和祈念館@2018 (6) posted by (C)furosky

─[ 上の説明板から転記 ]─────────────────────────────────────

ここは、我が国三大砂丘の一つに数えられる吹上浜の南端に位置し、太平洋戦争の戦局が急を告げつつあった
昭和18年の夏から19年の末にかけて本土防衛、沖縄決戦の軍航空基地として建設された
「萬世陸軍飛行場」の一角にあたる大戦の思い出の地であります。

昭和20年3月から燃料を集積、3月末から飛行第66戦隊が配置され、更に同年4月初第6航空軍の作戦計画によって
特別攻撃隊及びその掩護と防空の飛行第55戦隊も配置され特攻基地となり、沖縄作戦の最も熾烈を極めた
7月下旬までに、ここ万世基地から飛行第66戦隊及び特攻振武隊の諸隊、これを掩護する飛行55戦隊の若き勇士が
祖国護持の礎たらんと勇躍沖縄方面へ出撃し、南海の大空に散華したのであります。

終戦後幾星霜、今では当時の面影として、営門と水槽を残すのみとなりましたが、ここに立って松風や潮騒を耳にしながら
「祖国のため」を合言葉に、征きて帰らざる壮途についた紅顔の英姿をしのびつつ平和へ誓いを新たにしたいものです。

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万世特攻平和祈念館@2018 (8)
万世特攻平和祈念館@2018 (8) posted by (C)furosky


当時の面影を残す、「営門」は、〖万世特攻平和祈念館〗への入口に当たる、県道20号沿いに立っています。

万世特攻平和祈念館@2018 (10)
万世特攻平和祈念館@2018 (10) posted by (C)furosky

万世特攻平和祈念館@2018 (11)
万世特攻平和祈念館@2018 (11) posted by (C)furosky

万世特攻平和祈念館@2018 (12)
万世特攻平和祈念館@2018 (12) posted by (C)furosky

万世特攻平和祈念館@2018 (13)
万世特攻平和祈念館@2018 (13) posted by (C)furosky


館内に入るまでが長くなりましたので、館内の記事は続きで・・・

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