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〖サンタ・クララ記念碑〗 in 長崎県長崎市

長崎市の浦上地区を散策しています

国道206号線沿い、浦上川にかかる大橋のたもとで、〖サンタ・クララ記念碑〗 を見かけました。

サンタ・クララ記念碑 (1)
サンタ・クララ記念碑 (1) posted by (C)furosky


日本におけるキリスト信者発見百周年記念日の1965年(昭和40年)3月17日、ローマ教皇パウロ六世の
特使マレラ枢機卿により、このサンタ・クララ教会記念碑は祝別された。
この地に1603年(慶長8年)に建てられたサンタ・クララ教会は、イスパニア人の宣教師アウファレス
神父が司牧する浦上では、当時ただ一つの教会だった。
徳川幕府のキリシタン禁制によって、この教会が破壊されたあと、教会で働いていた孫右衛門は、神父を
失った村人の間に、帳方(ちょうかた)・水方(みずかた)・聞役(ききやく)という“潜伏キリシタン”
の地下組織をつくって信仰を固めた。
その後の250年、村人たちは、この教会の跡を祈りの場としていた。毎年夏になるとここに集まり、
盆踊りをよそおって祈りをとなえたという。
司祭のいない迫害の時代に、信者の指導者が信仰を伝えるために献身し、信者発見後は、司祭・信者が
一体となって働いた使徒職活動を記念すると共に、この教会の保護者だった聖女クララのご伝達を祈る
ために、このサンタ・クララ記念碑が建てられた。




サンタ・クララ記念碑 (2)
サンタ・クララ記念碑 (2) posted by (C)furosky


サンタ・クララ教会はポルトガル船員が建てた教会で、禁教令で破壊された後も、浦上のキリシタンたちは
サンタ・クララの祝日(新暦8月12日)とサンタマリア御上天の日(新暦8月15日)のころ、盆踊りでカムフラージュして
この教会跡に集まり、祈ったのだそうです。
信徒発見後は、ここに秘密教会ができたのだとか。

秘密教会とは、信徒発見後も信仰の自由がなかった浦上のキリシタンたちが、慶応元年(1865)から3年間、
大浦天主堂から密かに神父たちを迎えて、洗礼を受け、ミサにあずかり、教えを学ぶために作った
4つの教会のことで、大浦天主堂の巡回教会としていたのだそうです。

しかし、潜伏キリシタンからカトリックになったことで、それまでカモフラージュの為に受け入れていた
仏式の葬式を断ったことから、これらの教会が発覚し、集まっていた高木仙右衛門ほか68人が捕らえられ、
最後の迫害である慶応3年(1867)の「浦上四番崩れ」が始まりました。


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サンタ・クララ記念碑長崎市

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