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〖平和公園 ④ 原爆落下中心地と祈りのゾーン〗 in 長崎県長崎市

長崎市の 〖平和公園〗 を見学しています


〖平和公園 ① 長崎市原子爆弾無縁死没者追悼祈念堂〗
〖平和公園 ② 平和祈念像と願いのゾーン〗
〖平和公園 ③ 平和公園の防空壕〗

を見学した後は、原爆落下中心地を囲む「祈りのゾーン」へ向かいます。


「祈りのゾーン」には、主なものとして「原子爆弾落下中心地碑」、「原爆殉難者名奉安箱」、「浦上天主堂遺壁」、
「親水護岸(被爆地層の展示)」ほか幾つかのモニュメントがあります。


まず目に付いたのは、一対の灯籠です。

👇 聖徳寺灯籠
平和公園 (21) 聖徳寺灯籠
平和公園 (21) 聖徳寺灯籠 posted by (C)furosky

これは聖徳寺というお寺の灯籠で、爆心地から1500mの距離にあった聖徳寺の殆どの物が倒壊した中、この一対の灯籠だけが倒れずに残っていたのです。
後に聖徳寺より寄贈され、現在の位置に移設されました。

👇 聖徳寺灯籠の銘板より
聖徳寺灯籠
聖徳寺灯籠 posted by (C)furosky


聖徳寺灯籠

爆心地から南南東へ約1,500mの距離にある天王山法輪院聖徳寺は1626年(寛永3年)に創建され、
この一対の灯籠は信仰深い檀信徒から献納された。
1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により、総けやき造りの壮大な本堂
は倒壊し、境内の石塔や墓石も爆風によりほとんどが倒れたが、この一対の灯籠は倒れずに残った。
その後、この灯籠は原爆の惨状を伝えるものとして聖徳寺より寄贈を受け、1949年(昭和24年)2月
にこの場所へ移設された。
長崎市は原子爆弾で亡くなられた方々のご冥福をお祈りし、二度とこのような惨禍が繰り返されない
ことを願って、この銘板を設置する。




平和公園・祈りのゾーン (1)
平和公園・祈りのゾーン (1) posted by (C)furosky


原爆搭載機長崎へ

長崎は深い入江に面した美しい港を中心に繁栄し、三方(東・西・北)を山に囲まれた複雑な地形と
たたずまいの中に、ポルトガル船入港から原子爆弾投下に至る370有余年の歴史を刻み込んだ、九州の
最西端に位置する港湾都市であった。
太平洋戦争の末期、昭和20年8月9日早朝、西太平洋マリアナ諸島のテニアン墓地を飛び立った原子爆弾
搭載機B29「ボックスカー」号は、第1特攻目標の北九州の工業地帯小倉市上空に到達したが、小倉市
上空は天候不良のため視界がきかず、第2目標であった長崎へと方向を転じた。
長崎市上空へ侵入した「ボックスカー」号は、雲の切れ間に三菱長崎兵器製作所の巨大な工場群を
発見、高度3万フィート(約9,000メートル)から投下した原子爆弾は、午前11時2分、長崎市の北部、
松山町の上空約500メートルで天を裂くような熾烈な閃光を伴って爆発した。

原子爆弾による被害状況
死 者・・・・・・・・・・・・・・73,884人
負傷者・・・・・・・・・・・・・・74,909人(当時の推定人口24万人)
罹災人員・・・・・・・・・・・・ 120,820人(半径4キロメートル以内の全焼、全壊の世帯員数)
罹災戸数・・・・・・・・・・・・・18,409戸(半径4キロメートル以内の全戸数、市内総戸数の約36%)
全 焼・・・・・・・・・・・・・・11,574戸(半径4キロメートル以内 市内の約1/3にあたる)
全 壊・・・・・・・・・・・・・・ 1,326戸(半径1キロメートル以内を全壊とみなしたもの)
半 壊・・・・・・・・・・・・・・ 5,509戸(半径4キロメートル以内を半壊とみなしたもの)
焼失土地面積・・・・・・・・・・・・6.7㎢




平和公園・祈りのゾーン (2)
平和公園・祈りのゾーン (2) posted by (C)furosky


👇 原子爆弾落下中心地碑と原爆受難者名奉安
平和公園 (23)
平和公園 (23) posted by (C)furosky


原爆落下中心地

ここは原子爆弾が投下された中心地です。
この説明板の右側にある黒御影の石柱はその中心地を示しています。
1945年8月9日午前11時2分、爆撃機B29により投下された原子爆弾は、この地上500m上空でさく裂、爆風と
熱線と放射線によって市街地は廃墟と化しました。
そのため長崎市の北部一帯は全焼し、約15万人の死傷者を出しました。「75年草木の生じることなし」と
いわれたこの地も、今や平和公園として訪れる人々に世界の恒久平和を訴える発信地となっています。
(長崎原爆資料館に当時の惨状を示す原爆被災資料を展示しています。)
この写真は1945年10月に撮影されたもので、原爆投下後、最初にこの地に立てられた原爆落下中心地を示す
標柱です。
その後、何度か建て替えられ、現在は黒御影の石柱になっています。




👇 浦上天主堂遺壁
平和公園 (24)
平和公園 (24) posted by (C)furosky

👇 浦上天主堂遺壁
平和公園 (25)
平和公園 (25) posted by (C)furosky

👇 浦上天主堂遺壁
平和公園 (26)
平和公園 (26) posted by (C)furosky

👇 浦上天主堂遺壁
平和公園 (27)
平和公園 (27) posted by (C)furosky

👇 浦上天主堂遺壁と千羽鶴
平和公園 (28)
平和公園 (28) posted by (C)furosky

👇 浦上天主堂遺壁の銘板より
平和公園・浦上天主堂遺壁の銘板より
平和公園・浦上天主堂遺壁の銘板より posted by (C)furosky


浦上天主堂遺壁(爆心地から北東約500m)

爆心地から北東へ約500mの小高い丘にあった浦上天主堂は、1895(明治28)年から建築に着手し、信徒たちの
献金と労働奉仕により、1914(大正3)年に献堂式を挙げるにいたりました。1925(大正14)年に正面の双塔が
完成し、大小の鐘がつるされました。
東洋一の壮大さを誇った天主堂でしたが、1945(昭和20)年8月9日、午前11時2分、原子爆弾のさく裂により
破壊され、わずかにまわりの壁を残すのみとなりました。
この側壁は聖堂の南側の一部で、1958(昭和33)年に新しい天主堂建設のためこの地に移設されたものです。
壁上の石像は、フランシスコ・ザビエルと使徒です。しかし、雨風にさらされて劣化が進行したことから、
安全性を考慮して現在の形状のまま内部及び表面の補強を行いました。
長崎市は、原爆で亡くなられた方々を追悼するとともに、二度とこのような惨禍が繰り返されないことを
願って、この銘板を設置します。




平和公園横を流れる「下の川」は親水護岸として整備されています。

平和公園・親水護岸

この下の川は、原爆投下後、水を求めて力尽きた人々などの死体で埋め尽くされたそうです。

平和公園 (34)
平和公園 (34) posted by (C)furosky


下の川(爆心地付近)の惨状

この下の川が流れる松山町(向かい側)は、1945年(昭和20年)8月9日、午前11時2分、
人類史上2番目の原子爆弾が炸裂した中心地である。
当時この町には、約300世帯 1,860人余の一般市民が生活していた。
松山町の上空約500メートルで爆発した一個の原子爆弾は、その直後巨大な火の球となり、
それにより生じた数百万度の熱線と放射線と巨大な爆圧は、あらゆるものを一瞬にして破壊し焼き尽くし汚染した。
町内にいた者は、偶然にも防空壕に避難していた9歳の少女を除き全員が即死した。
壊滅した松山町は想像に絶する焦熱地獄と化し、惨禍の跡は黒こげの死体が累々と荒廃した焦土に横たわり、
まさに地獄の終えんを思わせるものであった。
また、下の川上流の家屋解体作業に派遣されていた県立長崎工業学校の先生及び生徒も、ほとんど爆死した。
この地で被爆死された方々のご冥福をお祈りし、二度と再びこの惨禍が地球上に繰り返されないことを願って
この地に碑を設置するものである。




平和公園・下の川


その護岸の横に、「被爆当時の地層」が保存・展示されています。

平和公園・被爆当時の地層
平和公園・被爆当時の地層 posted by (C)furosky


被爆当時の地層

昭和20年8月9日午前11時2分、米軍機B29(ボックス・カー)から投下されたプルトニウム原子爆弾(ファットマン)
がこの地の上空約500mで炸裂、約15万人の死傷者を出しました。
原爆落下中心地にあたるこの地層には、原爆によって壊された家の瓦やレンガ、熱によって焼けた土や溶けた
ガラスなどが現在でも大量に埋没しており、被爆当時の悲惨な実相を示す被爆資料として、現地に保存・展示
するものであります。




👇 被爆当時の地層の展示
平和公園 (29)
平和公園 (29) posted by (C)furosky

👇 被爆当時の地層
平和公園 (30)
平和公園 (30) posted by (C)furosky


ひときわ目を引く大きな母子像があります。

平和公園 (31)
平和公園 (31) posted by (C)furosky

「被爆50周年記念事業碑」です。


被爆50周年記念事業碑

今日の平和日本の繁栄や平和都市長崎の発展を考えるとき、1945年8月9日11時2分の原子爆弾の直爆により亡くなられた
方々のうち、約7割の方が、子供や女性、及び老人の方であったことを永久に忘れてはなりません。
この碑は、本市出身の彫刻家、富永直樹氏に依頼して制作したもので、原爆の悲惨さと、被爆により亡くなられた多くの
方々のご冥福を祈り、ひいてはこの尊い犠牲が今日の平和の礎となったことを念頭におき、偉大なる母の慈悲心と、
永遠に平和であれと念じ、あたたかく深く母の胸に眠る傷心の子どもの姿を配することによって、21世紀に羽ばたく
日本の未来を表現しています。
子供の姿はあの日の日本の姿を、母の姿は日本を支える世界の国々の姿を表し、この支えを受けながら今日の平和な
日本の礎が築かれたことを、私たちは忘れてはならないという製作者の思いが込められています。
原爆落下中止地地区は、被爆50周年の大きな節目を機に、「祈りのゾーン」として、世界へ向けて被爆の悲惨さを伝え、
被爆者の冥福を祈るとともに、核兵器廃絶と世界恒久平和を祈念する場とするため、平和公園整備事業として整備を
行いました。
この碑は、原爆落下中心地地区を「祈りのゾーン」として、より充実・強化し、世界平和の発信地とするため、
「被爆50周年記念事業碑」として、ここに建立したものです。




という説明板がありましたが、私には、
だらりと手足を垂らした子供が、原爆で亡くなった子供に見え、子供を抱えた母親が途方に暮れている様子に感じられました。


「下の川」に架かる緑橋を渡ると、〖長崎原爆資料館〗 などがある「学びのゾーン」です。

👇 この階段を上ると、長崎原爆資料館
平和公園 (33)
平和公園 (33) posted by (C)furosky

幾つかのモニュメントがあります。

👇 平和を祈る子
平和公園・学びのゾーン入口 (1)

平和公園・学びのゾーン入口 (3)

平和公園・学びのゾーン入口 (2)



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