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〖旦の登り窯〗 in 山口県山陽小野田市

山口県山陽小野田市で立ち寄った、山陽小野田市指定文化財である 〖旦の登り窯〗

旦の登り窯(1)
旦の登り窯(1) posted by (C)furosky

雑草がボーボーに生い茂っていて、ちょっと残念・・・

天保末年(1840年頃)に富田(周南市)の陶工甚吉が旦に移り住んで窯を開いたのが始まりの、製陶所の跡です。


旦の皿山

旦地域はかつて、食卓用の小皿など家庭用品を焼く製陶所があったことから「皿山」と呼ばれていました。
明治24年に日本舎密製造会社(現在の日産化学工業)が操業し、硫酸を入れる容器(硫酸瓶)を作るようになってから急速に発展し、最盛期には26社30数基の登り窯が見られました。
昭和30年以降、製陶業は次第に衰えていき、市内で操業するのは1社となりましたが、在りし日の「皿山」を忍ぶ多くの遺構が残っています。




旦の登り窯

天保の末年(1840年頃)都濃郡富田の人・甚吉が、旦の給領庄屋作左衛門宅に寄寓、周辺の畑土をみて、「この土なら焼物がつくれる。」と語ったことから、前原一誠の父佐世彦七が援助、「登り窯」を開いたのが起源。
手塩皿(小皿)と俗称する台所用品などを焼いたことから「皿山」の名が生まれた。
甚吉〇後、その技法を継ぐ者が出て、明治初年、旦で焼いた擂り鉢などが、北海道の寒気に強いことから開拓民に喜ばれ、旦の製陶業は一時栄えた。
明治24年(1891年)、日本舎密(せいみ)製造株式会社(現日産化学工業株式会社小野田工場)が硫酸等を製造、その容器を当時ドイツから輸入していたが、旦の焼物に注目、試作発注し生産をはじめた。本市製陶業の成長は、同社の創業に負うところが多く、石炭と並んで陶器はかつて本市の有力な地場産業品であった。
この登り窯は、とんばりと呼ばれる煉瓦造り。
大口から煙突までの長さ28.6m、幅7.5m、煙突の高さ12.3mで、製品を焼く十袋の窯と火力の調整を行うふかせ一袋の構成。窯では硫酸瓶や焼酎瓶などを焼き、ふかせでは消し壺や焙烙(ほうろく)などを焼いた。
なお、甚吉窯は三袋の登り窯で、この登り窯の焚口付近にあるといわれている。



旦の登り窯(2)
旦の登り窯(2) posted by (C)furosky

旦の登り窯(3)
旦の登り窯(3) posted by (C)furosky

旦の登り窯(4)
旦の登り窯(4) posted by (C)furosky

旦の登り窯(5)
旦の登り窯(5) posted by (C)furosky

旦の登り窯(6)
旦の登り窯(6) posted by (C)furosky


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  旦の登り窯
  山口県山陽小野田市大字小野田7231番地他
  
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旦の登り窯山陽小野田市

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