〖石場神社)〗 in 佐賀県西松浦郡有田町

紅葉シーズンでしたので、〖大公孫樹/口屋番所跡〗 を見学した後、近くの 〖石場神社〗 と 〖泉山磁石場(いずみやまじせきば)〗 を訪れました。

有田・石場神社 (1) posted by (C)furosky
案内表示を見ると、見る物が近場に点在しているみたいですね。

まずは駐車場から近い順に回って行きます。

有田磁石場組合 posted by (C)furosky
こちらの「有田磁石場組合」の建物は人の気配はなし。
その横の石段を上がると、石場神社です。
石場神社付近は紅葉スポットなのですが、立入期間が決まっているらしく、残念ながら紅葉は見れませんでした。

有田・石場神社 (2) posted by (C)furosky
まず、泉山磁石場の山神を祀る 〖石場神社〗 から参拝します


有田・石場神社 (3) posted by (C)furosky
ここから上がって行くと、石場神社が鎮座しています。

有田・石場神社 (4) posted by (C)furosky
石場神社(いしばじんじゃ)
泉山磁石場の山神を祀る石場神社の起源は明確ではありませんが、『肥前陶磁史考』(昭和11年刊)には
「元石場各坑内に祀りありしを文久年間(1861~1/863)勤番所脇の丘山に合祗せるものヽ如し」というくだりがあります。
しかし安政6年(1859)、慶応4年(1868)に描かれた有田郷の絵図の中にはその姿を見ることはできません。
明治13年(1880)に陶山神社が改築された時「仮殿として石場神社に鎮座した」とありますので、この時点では社殿があったものと思われます。
毎年11月になると石場神社の山の神への奉納相撲が行われます。昔は町じゅうの工場や商店は仕事を休み、町民こぞって相撲見物に出かけました。大正時代は出場する力士も九州素人相撲の「給金定め」、つまり石場相撲の成績によって力士の格付けがなされるという権威あるものでした。現在では、以前のような賑わいはありませんが、町の力自慢の力士達によって、一日中取り組みが行われています。この石場相撲が終わると皿山にも本格的な冬が到来します。
石場神社のお社の右側には、磁器製の座像があります。

有田・石場神社 (6) posted by (C)furosky
この坐像は、ここで陶石を発見し、日本磁器の祖となった李参平(りさんぺい)公を祀っています。

有田・石場神社 (5) posted by (C)furosky
奥の岩場にも小さな像がお祀りされていますね。

有田・石場神社 (7) posted by (C)furosky

有田・石場神社 (8) posted by (C)furosky

有田・石場神社 (9) posted by (C)furosky
お社の左側には高麗神の碑があります。
高麗神(こうらいじん)
この石場神社の境内にはさまざまな石祠が奉納されていますが、その一つに「高麗神」があります。高麗とは日本でいう朝鮮半島の昔の国名です。江戸時代、文化6年(1809)皿山宗廟八幡宮の祭礼の時、氏子たちは“皿山が不景気になったのは元祖の祭りをおろそかにした為であるから、途絶えていた「高麗踊り」を復活させてほしい”という願いを藩に申し出ています。
また黒牟田地区には「高麗墓」と呼ぶ文禄2年の年号が記された石塔があります。
このようにと陶祖李参平以来、朝鮮半島とのつながりが深かった有田にはあちこちに高麗の名が残っています。この神社の他には清六と呼ばれる地区にも江戸時代初期の登り窯跡の上方に小さな「高麗神」が建っています。いずれも朝鮮半島から渡来した陶工やその子孫によって勧請されたものといわれています。これらの建立年代は明確ではありませんが享保16年(1731)有田皿山について書かれた『皿山雀』という古文書の中に「高麗神」という名が出てきます。

有田・石場神社 (11) posted by (C)furosky

有田・石場神社 (10) posted by (C)furosky
お社から左手の高麗神の横を通り、落ち葉を踏みしめながら小道に沿って進むと、〖泉山磁石場〗です。

有田・石場神社 (12) posted by (C)furosky
泉山磁石場については次の記事で・・・
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石場神社
佐賀県西松浦郡有田町泉山
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